カロム関係の翻訳文書・学術論文
KAROM reflections(カロム・リフレクションズ)
Ram Chatlani(ラム・チャトラニ)著
1995年出版 ※英語
『カロム・リフレクションズ』は、ビリヤード、スヌーカー、クロッケーに先行し、影響を与えたゲームであるキャロムについて、世界で初めて歴史的、文化的に深く考察したものである。このゲームに詳しい人もそうでない人も、この本は情報と刺激を与え、大いに楽しませてくれるだろう。
「ゲームそのものがそうであるように、本書の考察も次々とポイントを突いてくる。用心深い人に向けた本であり、愚鈍な人のための本ではない」
ヘレン・イーザー(ナショナルフォークテールセンター所長)
「本書は、理性で解き明かした逸話のポケットへ、次から次とあなたを誘い込むことだろう」
リック・ウィルソン(ミュージシャン、ストーリーテラー、キャロムプレイヤー)
※「部分翻訳:第8章 歴史家たちの歴史」
カロム・リフレクションズ (※部分翻訳)
第8章 歴史家たちの歴史
キャロム(カロム、カルム、カルムスなど)は、その起源と歴史が、スペルと同じぐらい曖昧で不確かなボードゲームです。
ボードゲームに関する幾つかの著作がある、ロバート・G.・ベルは、『さまざまな文明のボードゲーム(Board and Table Game from Many Civilisations・1969年)』の中で、このゲームについて2ページを割いています。そこには「インドとビルマ(ミャンマー)で遊ばれている人気のゲーム」と説明するだけで、古代のことがわかるような手掛かりは何も書かれていません。
私の質問に答えてくれたベルは、キャロムに関する一部の情報は、1992年にネパールで遊ばれているのを見た義理の息子から得たもので、このゲームは中東でも遊ばれていることを教えてくれました。この書籍には、一般的な24インチ(約60センチ)の正方形のボードが掲載されています。
過去20年間で、このゲームについて書かれたもう一冊の代表的な書籍が、『ゲームの世界(Game of the World・1975年)』です。280 ページに渡りイラストが入った二つ折りサイズの作品で、そのうち「キャロム」に2ページが当てられていて、おそらくこれまでの中では最も詳しい内容となっており、このゲームはインドで人気があり、ビルマ(ミャンマー)とイエメンでは、世紀に渡って親しまれ、おそらく古代のエジプト人かエチオピア人によって最初にプレイされたことが、それを裏付ける証拠はありませんが、示唆されています。
イエメンのサアダという都市で、地元で作られたボードを使ってゲームをする少年たちのグループの写真が掲載され、一人の少年が獲得したディスクを掲げています。
著者は、「ボードを持たないイエメンの子供たちは、ゲーム盤を地面に線を引っ掻いて遊んでおり、そのやり方は間違いなく東洋の他の地域へも伝播している」と述べています。
本文のほとんどは、ゲームの遊び方と記載寸法に従えば、ボードを自作できるようになっていて、プレイ開始時にコマをどのように配置するかもカラー図解で示されています。
イエメンのボードの図もあって、イエメンではこのゲームを「カイラム(kairam)」と呼んでおり、これは「キャロム」のアラビア語発音の可能性があると、著者のグランフェルドは指摘しています。
あらゆるスポーツや娯楽は、時代や起源を問われないものですが、キャロムは、特にビリヤードやクロッケーなどのスポーツと密接な関係にあります。
後述するベルとマレーの両氏は、ボードゲームは、次の6つのグループのいずれかに分類できるという見解で一致しています:
1. すごろく(レース)
2. 戦争 (ウォー)
3. 陣取り (ポジション)
4. マンカラ
5. 計算 (カリキュレーション)
6. サイコロ(ダイス)
『エブリマンズ百科事典(Everyman's Encyclopaedia)』に掲載されているクロッケー(croquet)についての説明によると、キャロムとは、クロケットにおいてゴムのついたボードで芝生を取り囲み、プレイヤーはビリヤードのクッションショットのように、このボードに球を反射させるクロッケー特有のストロークのことであると述べられています。クロッケーの選手は、キャロムの戦術がクロッケーによく似ていると感じるようです。自分のコマが上手く配置できなければ、相手のコマを邪魔してくるのです!
ビリヤードとその派生ゲームであるスヌーカー(snooker)では、赤球で白球を打つことを、英語で「キャノン(cannon)」と呼んでいます。クライヴ・エバートンの著書『ビリヤードとスヌーカーの物語(The Story of Billiards and Snooker・1979年)』では、次のように書かれています:
「現代ビリヤードの第3要素である”キャノン”は、フランスからイギリスに伝わったカランボラ・ゲーム(オリジナル・ビリヤードの派生種)から生まれた」
ゲームの目的は、赤球1個と白球2個を使って‥‥、プレイヤーが自分のカランボラ(英語ではキャロム)で、他の2個の球を合計で16回ヒットさせることです。
ビリヤードに関する最初の文献は、1429年のフランスのものらしく、クロッケーもビリヤードも、ローンボウルズ(lawn bowling)から発展したという説が書かれています。
クロッケーは、13世紀のフランスで生まれたと言われており、おそらく、「マレット(mallet/木槌という意味)」という用語が登場する以前から使われている古いフランス語の「クロシュ(croche)」を転用したものであると考えられます。クロッケーは、ビリヤードを芝生の上でプレイできるように適応させたものなのでしょう。
『コリアーズ百科事典(Colliers Encyclopedia)』のビリヤードの項では、キャロム・ビリヤードとは、ポケットのないテーブルで行われるゲームだと説明されており、ポケット・ビリヤードとは、英語で言う「プール」や「スヌーカー」のことだと説明しています。この百科事典では、「ビリヤードは”古代から”プレイされており、イギリス発祥でありながら、フランスで大流行した」と書かれています!
しかし、イギリスの専門家は、「棒」を意味するフランス語が「ビリヤー(billiard)」であることから、フランス起源と考えているようです。
『ブリタニカ百科事典(アメリカの出版物なのに奇妙な題名)』には、フレンチ・ビリヤードは、キャロム・ビリヤードとも呼ばれ、ポケットのないテーブルで、2個の白球と1個の赤球を使ってプレイするゲームだと紹介しています。その目的は、「1つの白球を他の2個の赤球に打ち込んでキャロム(キャノン)を得点し、そのようなストローク1回につき1点を獲得すること」です。
『オックスフォード英語辞典』には、「カランボレ(carambole) [仏語] [西語でカランボーラ(carambola)]」という項目があり、ビリヤードの赤球のことを指していて、キャノンと呼ばれるストロークのことであるとも書かれています。この辞書は、『ボーンズ・ハンドブック・オブ・ゲームズ(Bohn's Handbook of Games・1850年)』を引用しており、ストライクはキャノン(cannon[sic])と呼ばれ、それ以前は「キャロム(carom)」、または「カランボラ(carambola)」と呼ばれていたとあります。「この辞書の"キャノン"は、重い弾丸の概念から創出された可能性がある」と書かれています。
さて、キャロムはどのように伝播していったのでしょうか?
キャロムは、インド南部の海岸地帯であるマラバールで発祥し、おそらくアラブ商人を通じて、中東やインドの他の地域に普及したと推測できます。しかし、逆にアラブ人から始まって、さらに東方へ伝えられた可能性も十二分に考えられます。イエメンとの関係が決定的とも言えません。インドを越えて、プレイする国々のどこにでも根付くだけの十分な人気がキャロムにあるのは確かです。
インドに住んでいた昔のポルトガル人は、このゲームに関係していたのでしょうか?
もしそうだとすれば、キャロムがインドの西南部のマハーラストラ州、ケーララ州、タミ・ナブ州で特に人気があるのは、偶然ではないかも知れません。最古のボードのいくつかは、ポルトガルの植民地だったゴアの「カランボリム(Carambolim)」という地名で見ることができます。
フルーツは何か関係していたのでしょうか?
「カランボラ(carambola)」と呼ばれる紫がかった丸い果実(スターフルーツとして知られ、種によって、アヴェロハ・カランボラ、またはアヴェロハ・ビリンビという植物学名がつけられている)は、マレーシアとインドネシア原産の木のポルトガル語名である「カランボリエーロ(caramboliero)」の食用部分のことで、インドへ分布しています。西洋で最初に言及したのは、1563年、ガルシア・デ・オルタによるものだと思われます。彼はゴアの庭でこの木を育てていました。彼がつけた名称は、おそらく原住民に由来していると思われます。
ガルシア・デ・オルタは、マレー語の「ベリンビング(belimbing)」という名称を知っていて、それを「ベリンボ(belimbo)」と書いているのですが、近年の研究では、南インドのマラヤーラム語で「カランボラ(carambola)」(おそらく実際はkarambal)と呼んだのではないかと言われています。これはポルトガル人がマラヤでこのフルーツと出会うよりも前に、インドでこのフルーツに出会っていた決定的な証拠なのかも知れませんが、ビリヤード、スヌーカー、キャロムの名称を付けるため、フルーツの名称が借用されたことは、かなりはっきりしているようで、ゲームの語源に関しては、何ら述べられていません。
17世紀初頭の文献には、次のようにあります:
「ポルトガル人とマラバール族が、このフルーツをカランボラと呼んだ」
別の文献には、「ビリヤードの赤球は、カランボラの大きさと色になぞらえて、”カランボラ”と呼ばれるようになった」とあります。
「ビリヤード」という意味の「カランボラ(carambola)」は、17世紀初頭のロペ・デ・ベガの著作に早くも登場します。1792年のフランスの著作では、ビリヤードのカランボーラ・ゲームについて言及されており、『オックスフォード英語辞典』では、「カランボーラ」はフランスから伝わった新しいゲームであると、1788年のイギリスの文献を引用しています。
「ボーラ(bola)」とは、スペイン語とポルトガル語で「ボール」を意味します。これらの言語では、カランボラには、「騙すためのトリック」という別の意味もあります。おそらく、スペイン語の誓いの言葉や感嘆詞の「カランバ!」と関連しているのでしょう。「カランバ!」は、主に女性が使う言葉で、「ハッハ((笑))」「グッド・グレイシャス(いやはや)」あるいは「グッド・ラック(幸運を)」というようなことを意味していて、ここからフルーツとビリヤードの赤球が似ていることから、ビリヤードのストロークだけでなく、ボードゲームで要求される素早い動きのことを表すようになったようです。
インド人の大半は、キャロムが古代の系譜を受け継ぐものとは考えていないようです。1956年に設立された全インド・カロム連盟のルールブックの一部には、次のように書かれています:
「85年前からインドでプレイされているキャロムは、ここ15年間で人気が高まり、各州で独自の協会や連盟が必要だと考え、設立されるようになった」
ここに遥か古代の痕跡を見つけることはできません。
もちろん、このゲームがインドや近隣諸国では、遥か昔から知られていたのに、19世紀後半に人気が復活して盛り上がるまで、休止状態だった可能性もあります。この説が事実だとすれば、誤解を招くかも知れませんが、1875年にインドの英国陸軍将校が「スヌーカー(snooker)」を発明したことと関連づけたくなります。もしかすると、再興ではなく、ゲームは何ら干渉されることなく、楽しくプレイされていたところに連盟が設立され、単に誇張されたに過ぎないのかも知れません。
ベルによると、現存する最古のボードゲームは、エジプトで発掘されたもので、現在はブリュッセル博物館に所蔵されています。紀元前4000年から3500年のものと推定され、粘土製で正方形に分割されており、11個の円錐形のコマが発見されています。
1928年から27年間かけて、古代都市ウルを発掘していたレナード・ウーリー卿は、紀元前3000年から2500年頃のボードを発見していますが、これはレースゲームだった可能性があります。エジプトの墳墓から発見されたボードやコマが描かれた壁画のほとんどは、紀元前2000年以降のものであると推定されています。
古代ギリシャのボードゲームは、エジプトに始まり、地中海の島を経由して、ウルやパレスチナから伝わったとベルは考えています。
また、インドのボードゲームに関する最初の記述は、紀元前5世紀の『ブラフマ・ジャータ・スートラ(Brahma-jata-Sutra)』にあると述べています。それらは、「アシュタパダ(ashtapada)」と「ダサパダ(dasapada)」と呼ばれるレースゲームでした。6世紀に考案された別のインドのボードゲームの「チャトランガ(chaturanga)」は、チェスのルーツである可能性があります。
『チェス以外のボードゲームの歴史(In the History of Board Games other than Chess・1952年)』では、古代エジプト人とシュメール人がボードゲームを発明し、その遊び方が交易相手である他民族へと伝わり、最終的に紀元前500年までには、中国に到達したと仮定しています。
キャロムの祖先が、チェスと同じように、西暦750年頃にインド北部で考案されたという証拠があれば喜ばしいのですが、チェスは、西暦600年までにペルシアへ広まると、西暦700年にはアラブ人がスペインへ持ち込んでいます。そして西暦800年にはビザンチウムに到達しています。インド人が西暦1000年までにそれを亜大陸に持ち帰ったとすれば、イスラム教徒による侵攻の影響が考えられます。もう 1 つの有名なボードゲームである「ドラフツ(draughts)」は、おそらく12 世紀にフランス南西部で考案されています。
マレーは、インドのヴェーダ時代にボードゲームに関する記録はないとするルーダースの言葉を引用しています。ヴェーダ文学は、現在のロシア南部/中央アジアから、アーリア人/インド・ヨーロッパ人が到来して、紀元前1500年頃にはインド北部にまで広がっていたことに関連づけられています。彼らが定住するにつれ、紀元前1000年以前には、インドの先駆的な文学である『リグ・ヴェーダ(神々への賛歌)』を生み出しています。
古代エジプトとバビロニアにおける、ボードゲームの存在は、文明の黎明期の特徴であり、パレスチナとアッシリアで、次に紀元前2千年にはキプロスとクレタ島で、そして紀元前1千年にはギリシャとローマで、ボードゲームが遊ばれていた証拠が発見されています。マレーは、以下の地域が旧世界におけるボードゲーム普及の中心地だったと考えています:
それは、ナイル渓谷、メソポタミア、インド北部、中国、ローマ、スカンジナビア、アラブ諸国です。マレーのゲーム索引は8ページ以上に及ぶものですが、残念ながらそこにキャロムは掲載されていません!
マレーは、カタログ作成を通じて、現在、どこでどのようなボードゲームが遊ばれているかを把握することができたと言います。チェスの歴史を参考に、すべてのボードゲームが同じような進化の過程を経たであろうという前提に立ち、何気ない言及や引用に注意すれば、その歴史を解明することができるのかも知れません。
非ヨーロッパ世界のゲームを扱った最初の研究は、トーマス・ハイド教授(1636〜1703年)の『東洋のゲーム(De Judis Orientalibus)』です。これは初期の研究で、文化現象としてボードゲームの重要性が認識されるようになったのは、ここ60年ほどのことであり、主にイギリスの人類学者、E.B.テイラー卿とA.C.ワドン博士、そしてアメリカのスチュワート・カリンの功績によるところが大きいです。
ボードゲームは世代から世代へ口伝で伝承され、あるいは模倣しながら受け継がれていくうちに必ず変化が起こるものです。ルールは書き残されて初めて固定化する傾向にあります。
昔の旅行者がゲームについて言及していたとしても、難解で複雑に見えるゲームのことを「チェス(chess)」と呼んだり、単純なゲームのことを「ドラフツ(draughts)」と呼ぶなど、かなりいい加減なものであることをマレーは指摘しています。
異論の余地がないことかも知れませんが、もし、すべてのボードゲームが共通の祖先を共有していたとすれば、球を物体に衝突させるという点で、非常に古い屋外球技の一つである「ポロ(polo)」について考える必要があるのかも知れません。「ポロ」とは、このゲームが発祥したとされるチベットの言葉で、「球」や「柳」を意味しています。
1869年にイギリスの騎兵隊がイギリスへ持ち込むまで、チベット、インド、中国で何世紀にも渡って遊ばれていました。イラン人はキャロムのことを「チュクァ(chuqua)」と呼んでいます。ヒンディー語で「チュッカ(chukka)」は「ポロ」を意味していて、この名前は間違いなくポロとの繋がりを示唆するものです。ポロの用語で「チュッカ(chukka)」とは、「ポロの試合」や「コース」のことを意味しています。
カナダ人が「クロキノール(crokinole)」と呼ぶゲームは、多くの点でキャロムと共通しています。主な違いは、コーナーポケットがなく、中央にはコマが収まる程度の窪みがあり、円形または八角形のボードでプレイすることです。
『ウェブスター辞典(Websters Dictionary)』には、奇妙なことに、ビスケットの一種としてクロキノールが記載されているにもかかわらず、キャロムは掲載されていません。さらに奇妙なことに、コーナーポケットのある大きな四角いボード上に丸い木製のコマを置いて 2 人または 4 人のプレイヤーによってプレイされるゲームの商標としてキャロムが記載されています。キャロム・ビリヤートについては掲載されています。
クロキノールには、ウェイン・ケリーという優れた研究者がいます。ボードゲームの歴史は考古学的な発掘によって解明できると彼は述べており、「今日知られている数千種類のボードゲームのカタログは、長い年月と多くの文化によって築き上げられた」と言っています。ケリー自身が指摘するように、クロキノールの用具と技法はキャロムとよく似ています。
1986年にカナダのラジオ司会者、ハーブ・コリングとその妻がネパールを訪れた際、キャロムで遊んでいるグループに出会ったことをケリーは紹介しています。コリングはこのゲームを「ビリヤードとシャッフルボードを混ぜ合わせたような素晴らしいゲーム」と評しています。キャロム信奉者なら、このありきたりな比喩表現にはウンザリするかも知れませんが、この評価には賛同できることでしょう!
1890年代初頭、ミシガン州のルディントン社が、キャロムとクロキノールを組み合わせたボードの製造を始めました。この会社はすぐに社名をルディントン・ノベルティ・カンパニーから、キャロム・カンパニーに変更しています。
奇妙な偶然ですが(あるいはそうでないのかも知れませんが)、ルディントンの「lud」はラテン語でゲームを意味する「ludus」の語源でもあるのです。
新たなライバルとの合併後、キャロム・カンパニーは、アメリカ最大のコンビネーション・ボードメーカーとなりました。
1961年、キャロム・カンパニーの社員だったロバート・エリクソンは、メルデル・マニュファクチャリング・カンパニーを設立し、競合他社をすべて買収すると、キャロム、クロキノール、その他98種類のゲームが遊べる類似したボードを製造しています。
1914年にアメリカで製造されたキャロム/クロキノールの組み合わせボードの箱絵には、2人の東洋人プレイヤーが描かれています。おそらく、メーカーがこのゲームの起源を意識していたのでしょう。
ケリーの本には、1901年のボードゲームが掲載されていて、その広告には「100のゲームがプレイできる。1つのゲームだけでは満足できない愛好家に対するメーカーによる経済的な装置」と宣伝しています。
1930年頃に製造されたゲームは57ゲーム、1954年に製造された別のゲームは85ゲームに対応しています。
ケリーは、バリスティック(ballistic/おはじき)ゲームやキャロムに関する幅広い知識と研究をもとに系統図を示しています:
16世紀:シャベルボード(シャッフルボード/シューレ)
キャロム?
17世紀:シャブ・ハィペニー
19世紀:スクエイル、クロキノール
スクエイル(squails)は、1850年代に特別なゲームとして誕生したようです。ベルは1862年にオーストラリアに移住したイギリス人たちの船上での娯楽として紹介しています: 「スクエイルには、多くの愛用者がいた」
1870年の少年向けの出版物では、スクエイルは、シャベルボードやシャブ・ハィペニーの新しい遊びとして紹介されています。
キャロム(carrom)の語源は、東南アジアにあると言っても良さそうですが、もともとはゲームを意味していたのではなく、厳密にはフルーツを指していました。また、ポルトガル人がインドのマラバル海岸の一部を「カランバ(caramba)」と呼んでいたことを示す証拠も幾つかあります。
フルーツとゲームには2つの関係があります。一つは、フルーツに似ていることから、初期のビリヤードの赤球にこの名前が付けられています。もう一つは、「カランバ!」という言葉が感嘆詞の意味で使われるようになったのも、ゲームから借用されたものでない限り、このフルーツから来ているに違いありません。もしそうだとすれば、「カランボラ(carambola)」という言葉は、あっという間にヒスパニック系の言語に取り入れられたことになります。私たちが現在理解しているような意味での「カノン(canon)」が、幸運を祈る言葉や、ゲームでの成功を意味するようになるには、「カノン」が受容されていなければなりません。
つまり、これは「ゴール(goal)!」や「180(one-eighty)」と叫ぶようなものです!
「ゴール」や「180」という単語が、それが関連するゲームの中で、一定の親しみやすさを獲得するまでは、人々はゲーム以外で、成功を意味する単語として採用しないでしょう。
言葉というものは、借用と混合で満ち溢れています。それは常にそういうものなので、この場合、ある意味、キャロムの起源を知る手がかりとして役立ちそうなものですが‥‥。
ここにいくつかの世代交代が明確であり、いつの時代においてもキャロムというゲームに彩を与えてくれていたのかもしれません。キャロムという名称は、その大きさや色に関連していますが、キャロムやビリヤードのようなゲームとフルーツの間に、名称以上の関連性があるとは思えません。
『カロム・リフレクションズ(KAROM reflections)』
ラム・チャトラニ(Ram Chatlani)/著
トリコン・プレス(TRIKON PRESS)/出版(イギリス)1995年
・闘球盤とカロム-『李氏朝鮮最後の王 李垠[大正 期]』補遺 (関西学院大学社会学部紀要より)
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=30534&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
・盤上遊戯「クロキノール(闘球盤)J の伝来と普及の一端 (三橋正幸(公財)秦野市スポーツ振興財団)
https://jslrs.jp/journal/contents/77.html